自衛隊イラク派兵レポート(クウェートレポ)
イラク自衛隊特集(2004年8月)

私は最後までサマワを追い続ける

11月27日に香田証生さんが捕まり、首を切られて殺された。今年の4月には今井、高遠、郡
山、の三人が捕まり、その後橋田・小川の両氏が殺害された。今年はイラクの話題に事欠か
ない年だ。そしてサマワを追っている「米屋の親父」がいる。他の人たちが行った理由はどうで
もいい。僕は同じ日本人に死んでもらいたくないから行くことにした。危険だから行くなと言って
くれる友達もいるが、危険なところに自衛隊員としての日本人がいる。彼らを日本人の誰もが
助けようとしない。3人組が捕まった時、署名したのに。「自己責任」の問題も皆が関心を持って
議論したのにジェスチャーだけ。行動した同じ人が自衛隊員という理由で助けようとしない。そ
ういえば、香田さんの時も助けようと言う盛り上がりは無かった。もう、飽きてしまったのだろう
か。お祭りに。

まず、話を聞くことにした

3人とも超有名人(クエートのタクシー運転手まで知ってた)だから、会うことは出来ないので、
今井、高遠、郡山の三氏について、彼等の本を読んでみる事にした。何の為にイラクにいった
のかを知りたかった。全員の本を読んでみた。今井君の本で参考になったのは「パレスチナ」
という本に出合えた事かな。高遠さんはそれなりにイラクの情報が手に入ったし、郡山さんにつ
いてはジャーナリストを目指している人。そして自分の思いをメディアが伝えなかった事に腹を
立てている。だからどうしたいのかな?高遠さんも、何故イラクの子供たちなのかな?他の国
のストリート・チルドレンには関心ないの?私にはよくわからない。

ファルージャ戦のはじめ

高遠さんの本を読んでいると、今が旬のファルージャについての記述があった。しかも何故ファ
ルージャはあのような戦闘になったかである。まずアメリカ軍がファルージャの小学校を指揮
所にする為に学校を占拠し小学生を追い出した。ポルノ雑誌のお土産つきで。それで敬虔なイ
スラムの父兄たちはアメリカ軍に抗議に行ったが話を聞く前に銃で撃たれたらしい。そういう状
況の中に反米宗教指導者やイラク以外からのテロリストが入ってきてテンヤワンヤ。そしてア
メリカがここを攻撃し始めた。ファルージャの人たちがそんなアメリカ側につかないのは決まっ
ている。結局戦闘はやったものの、ザル・カウィーといった首切り人は取り逃がしてしまった。そ
の代わり、香田さんのパスポートを見つけ、残虐非道なテロリストがいた証拠を示して、今回の
ファルージャ攻撃の正当性を強調した。

イラクでやりたい放題のアメリカ

似たような話は、バグダットの動物園でベンガル・虎(だったと思うが)を酔っ払ったアメリカ兵
が射殺してしまったと言う事件が報道された。酔って虎の餌付けをしようとしたアメリカ兵が手
をかまれ、怒った兵士が虎を銃で殺してしまったのだ。ただし、全てがこういった人間ばかりで
はない。しかし、現実にこういったアメリカ兵がいてイラク人の生活を脅かしている。一月に6回
程、夜中のパトロールがあり、誰でも好き勝手に逮捕することが出来る。この映像はニュース
等で流されているが、この時(汚い話だが)アメリカ兵が部屋の中に糞をしていくらしい(全部で
はないだろうが)。そして、その家のコウランでしりを拭き、壁にそのコウランを拭っていくという
話だ。勿論、こういった所は映像には出ない。

2004年の7〜8月は安全であった

去年の話になるが、一人のジャーナリストがバクダッドからぐるりとイラクを旅行している。しか
も小学校2年生の娘と奥さんを連れて。彼はこの時点ではイラクの治安は安定していたのだと
言う。それを証明する為に子ずれで旅行したのだ。これの映像はDVDで販売されている。テロ
リスト集団のアルカイダは6月ごろにイラクに入ったらしいという情報もある。アルカイダがイラ
クに入ったから状況が悪化したのか、元々アメリカはイラクを安定させるつもりは無かったの
か、その辺は断定できない。しかし地域の住民はアルカイダは嫌いだと言っているらしいし、ザ
ル・カヴィーらのテロリストも嫌らしい。しかし、アメリカを追い出すためには手を結ぶ人がいる
ようだ。

自衛隊イコールアメリカ軍に?

平成16年の11月17日は宗教指導者の一人であるシーア派のムクサダ・サドル氏(対米レジス
タンス「マハディ軍」総帥)が、「我々は占領者と戦っており、日本もその戦いの相手の一部とな
った」と声明を発表したのだ。つまり、もう自衛隊はアメリカ軍とみなすと言うことだ。攻撃の対
象になってしまった。何故、外務省はこれに対抗してアルジャジーラでも使って、彼等に@自衛
隊は人道支援としてイラクの復興のために来たA武器は携行しているが未だに一発の銃弾も
撃っていないBイラクの誰一人にも危害を加えていないCサマーワの人達に親しまれているD
アメリカ軍と共同して攻撃を加えたことはない、等を何故伝えないのだろうか。放って置けば自
衛隊員を見殺しにしてしまう事になる。もし宣伝をやっているなら、何故私たちに伝わってこな
いのだろうか?

今、イラクで一番必要なのも

イラクで今一番必要としている物としているのは毛布だそうだ。始めは皆さんと同じように、砂
漠で気温が下がってくるから防寒用に必要なのだろうと思っていたが実は違った。毛布は死体
を包むのに必要だと言う。イラクでは土葬の風習があるため、埋める前に毛布にくるむのだそ
うだ。11月に入っても日中は40℃をこすの気温である。死体を毛布で包んでおかないと死臭
がすごいらしい。それにアメリカ軍はどんな理由ででもイラク人を殺しているから、死体が多す
ぎて、それを包む毛布が足りないと言うのだ。イラク人の命より動物園の虎の方が価値があり
そうな感じがする。そんな中でイラクに平和を求めるのは無理と言うものだ。

サマーワというものの陰に隠れているもの

何故、自衛隊がサマーワに展開しているのだろうか?サマワというのはイラクのムサンナ県と
いう田舎の県のさらに片田舎の町であるという。一応は州都なのだそうだがここは非戦闘地域
と言ってもなぜ、わざわざそんなところに行ったのだろうか。はわざわざ、自衛隊が行く必要は
無いのではないか?しかしアメリカに「ブーツ・オン・ザ・グランド」と言われて、何かのアクション
を行かざるを得ない中、アメリカといっしょに軍事行動をしないなら、サマワ以外の選択肢は無
かったのだろう。そして、アメリカ軍と共に行動を取らなかった選択肢の正しさがやっとわかっ
てきた。イラクに派兵を反対する人はそうしなかった場合の事を考えているのだろうか。間違い
なくアメリカは日本に嫌がらせをしてくるに違いないのだ。経済制裁なりなんりと。何をしてくる
かわからない。アーミテージ国防省が憲法改正に意欲的な姿勢を示した裏にはアメリカ軍の替
りに自衛隊を当てようとしているのかもしれない。

愛の反対は無関心

高遠さんの本の中にマザー・テレサの言葉が書いてあった。本を読んでも高遠さんの行動自
体にはそれ程の感動はなかったが、マザー・テレサの一言は本を買ってよかったと思った。つ
まり「愛の反対は無関心」という言葉である。私には「無関心」と言うのは「悪」と同義語に聞こ
えた。今、サマワで行われているのは単に復興支援のみとは思えないからである。これからの
自衛隊、いや日本の進むべき道を決定してしまうかもしれない。多分、アメリカの要望や諸般
の政治の流れから自衛隊が日本軍になるのは仕方の無いことかもしれない。しかし、日本軍
が日本の為の物であって、アメリカの為の日本軍にならないようにするにはサマーワで起こっ
ていることを国民全体の目で見つめなければいけない。

明日はわが身

私は番組の中で「赤紙」が来るようになるぞ!と何時も言っている。30歳以上の人には直接は
関係ないが、次の世代の子供たちには大いに関係ありそうな話しである。北海道の自衛隊は
部隊を縮小するそうだ。そうでもしなければ、海外派兵したときに人員が足りなくなるからだ。ま
だ、海外派兵は仕方が無い。また、その方向に進むのは止めようがないし、本気で止めようと
する人もいない。自衛隊が海外に行っても、或いは死人が出ても自分の身内でなければ、知り
合いがいなければ、「気の毒にね」で終わってしまう。それが、アメリカ軍の代わりに戦う日本
軍と成ればアメリカの代わりに死ぬ人が、たくさん必要となる。そのうちに「気の毒にね」と「言
われる側」に立つのは時間の問題であると思わないだろうか?そうならない為には「今」何とか
する以外に方法はないし、その為には関心を持って行動しなければいけない。まさに、無関心
は「罪悪」である。100%に近い人たちはサマーワに「無関心」である事に罪の意識など持って
はいないが、事実無関心でいることは「罪悪」なのだ。この戦争を終わらすことが出来ないのは
あなたの無関心の性だ。あなたに責任がある!



クウェート出発前に抱負を語る神 慶興

サマワの日本人

私は6月からサワマの自衛隊の隊員と電話で毎週、交信している。ひょんな事から始めてしま
って、それを現在北海道・東北のコミュニティーFMをネットして27局で放送している。放送する
時間や曜日はまちまちなのだが、音源いっしょだから、全て僕の声が入っている。もう半年に
なるが、話して感じるのはサマワの自衛隊員って「隣のおじさん」やコンビニですれ違うような
「おにいさん」や何処にでもいる「おねいちゃん」なのである。ただ仕事だからサマワにいってい
るのだ。知り合いのおねいちゃんでもコンビニではたらいていればマニュアル通りに「いらっし
ゃいませ」と言う。「お久さ!」なんては言わないのだ。仕事だからそのルールで働いているだ
けなのだ。


サマワに行ってみたい

毎週話してるいと親しみも沸いて来るし、最初は紋切り型の話だったのが半年もすれば(話し
相手は毎回違うものの)冗談も出てくる。そうして話しているとサマワの隊員の話とマスコミで伝
わる情報の温度差が気になる。マスコミでは、地元の人たちが自衛隊帰れ!とやっていると言
うが、当の本人たちはサマワの住民、特に子供たちは非常に友好的で危険は感じないと言う。
当然のことながら、それじゃ見て確かめたいと思うのは当然の成り行きであろう。とすれば、行
くしかない!それで行くことにした。それで手始めに札幌タイムスの社員にしてもらって、ついに
は自衛隊の内局(本当を言うとここの部署がどういう所かよくわからない)からサマワへ入る許
可書まで手に入れて8月16日にクエートまで行って来た。帰ったのが9月2日である。一般に
はバクダッドから入るのだが(首を切られた香田さんの様に)自衛隊や多国籍軍がイラクに侵
攻している基地を見たいと思っていたので、こちらに来てしまった。

 




多国籍軍の基地、キャンプ・バージニア

多分に私はラッキーであったと思う。この国での取材については陸幕に話してあったが、こちら
のクエート側の取材というのは、サマーワに駐留する自衛隊の交代の模様しか報道されない。
それ以外の所を取材したいと思えば、競争相手がいない分だけ取材がし易かった。自衛隊は
クエートのムバラク空軍基地を窓口としてイラクにはいる。そこから一度アル・アリサレム空軍
基地の中のアメリカ軍のキャンプ・バージニアに移り、準備を整えてイラクに入るのである。こ
こでは、最終的な射撃・運転の習熟訓練が行われる。砂漠の中での訓練で私がお邪魔した8
月の下旬であったが、気温が52℃で湿度は10%くらいである。この気温で防弾チョッキを着
て、鋼鉄製のヘルメットをかぶり訓練するのである。心ある人は一度試して見るといい。一般
人が同じ重量の荷物を背負って砂漠を歩けば30分ほどで吐き気に襲われ、脱水症状にな
る。キャンプバージニアでの生活はテント暮らしである。砂嵐が堪能できる。日本では味わえな
いので是非お勧めしたい体験の一つである。日本に帰ってからスナックのおねいちゃんとの話
で盛り上がる事、請け合いである。
                               
                           キャンプバージニアで第9師団の
                                       ワック4名と共に

縁の下の力持ち・その1

ここクエートには分遣隊と言うのがある。陸上と航空である。海上はどうなんだろうか?ついぞ
話題に上ってこなかったし、見ることも無かった。主に陸上自衛隊にお世話になったのだが、
航空自衛隊について話すとしよう。陸上の方を話すと長くなる。装備や食事・住居といった点で
は陸上部隊より遥かに優遇されている。事務所の外に出なければ日本にいるのと変わらない
との事である。こういう書き方をするのは、ここには入れないからだ。航空自衛隊は100%、ア
メリカ軍の基地の中にあるので、取材することが出来ない。任期は6ヶ月。その間殆ど外部と
は接触できない。缶詰状態だ。日本からの荷物の中に全員に当てた手紙などあると、壁に張
り出して皆で食い入るように見るそうである。話を聞いていると孤独との戦いのように感じた。

縁の下の力持ち・その2

さて次は陸上自衛隊のほうである。こんな事があっていいのかと思った。まず、簡単な状況報
告から。@任期はサマワの倍の6ヶ月であるA手当てはサマワの四分の一である。B生活は
テント暮らしで砂嵐が来るとそこ等中砂だらけの状態Cクーラーは気温が45℃を越すと動か
なくなる。因みに私が行った時、気温が52℃Dお風呂は無い。シャワーだけであるが、割り当
ての3基の内で使えるのは1.5基である。水が出る量で決まる。E基本的に日本食は無い。
クエート市からの距離的な問題などあり無理らしい。今の若者でさえ毎日がアメリカの味気な
い食事では耐えられないと思うが。F休みは一月に一日であると聞いた。表面上ではなく実質
的な休みとして。G交代要員はいない。他の国、特にアメリカなどは交代要員がいるらしいが、
自衛隊は6ヶ月毎に一括交代制。Hこの状態は少なくとも1年以上は変わらないらしい。I彼
等のことは誰も知らない。日本人で、クエートにサマワの補給のための部隊がいる事を知る人
は殆どいない。また報道もされない。ざっとこんな所であろうか。

射撃訓練

キャンプ・バージニアの中に射撃場がある。ここはとても広く北海道の矢臼別など問題にならな
い。自衛隊の使う場所は第17番レンジといって、一番奥にある。どのくらい広いかというと、朝
の4時前にゲートを出発して陽がしっかりと明ける頃に到着する。勿論、歩いていく訳ではな
い。或いは、ここにはアメリカ軍の射撃場も勿論あるのだが、アメリカ軍は大砲を撃っていた。
この射撃場はクエートの国土の四分の一あるそうだ。所で、ここでは放牧しているラクダが射
撃中に入ってくると、追い出すまで射撃訓練は中止になるそうだ。以前、アメリカ軍がこのラク
ダを撃ち殺してしまい200万円程支払ったという。ファルージャや他の沢山の所で毎日、人が
撃ち殺されているが、その保障は如何ほどであろうか。ラクダより安い人間の価値。なんとなく
割り切れない気持ちである。そう言った事を聞いても「かわいそうね」の一言で済ませてしまう
「あなた」の無関心さ。どうにかならないかなぁ!
        
自衛官と同じ装備を試してみる。重い!           射撃訓練の様子

運転の習熟訓練

ここ中近東は右側走行である。日本とは反対である。そこで車の運転になれる為にクエートで
車の運転訓練をする。それに立ち会った。クエートの高速道路は正にフリーウエイ!ただなの
だ。日本のように有料の「無料道路」ではない。そこに軽装甲機動車が2台と軍用トラックが6
台の計8台で青空のクエートを時速80キロ位で2時間ほど飛ばした。一般車両とコラボレイト
しながら走った。高速道路の行き先を示す看板は日本のものと殆ど同じような作りであるが、
書いてある字は「アラビア文字」である。その下を日の丸をつけた装甲車が半身をのり出し戦
闘態勢をとっている自衛隊員を乗せて走っている。熱風が顔に当たる。隊員のガドライアーを
顔に当てるような感じと言っていたが、本当にその通りである。空は青く、雲ひとつ無い。ラクダ
がのんびりと群れをなしていた。しかし、ここからわずか数百キロ先では血なまぐさい殺し合い
が繰り広げられているのだ。

クエートは建設ラッシュ

11月18日のニュースでは原油の価格が1バーレル当たり55ドルになって、これ以上の高値
にならずに推移してくれれば、日本のメーカーも助かると言っていた。戦争以前は高くて30ド
ルくらいだったろうか。通常は18ドルくらいであったと思ったが精々20ドル前後であるはず
だ。それで原油国は採算が取れていた。その価格でとんでもない額の金がアラブに落ちてい
た。おかげでクエートでは市内通話がタダであり。勿論、福祉も充実している。税金はあるのだ
ろうか?それがである!同じ量で販売価格が2倍である。費用は変わらないわけだから、天文
学的な儲けが中東に集まっている。世界中の金が集まっていると言えるだろう。だから、クエー
トは建設ラッシュである。どちらを向いても20〜30階はあろうかと言う巨大なビルがそこら中
に建設されている。いくら使っても使い切れない金が集まっているのだ。今、建設機材が高騰
しているのだそうだ。景気が悪いという北海道の道民はここに出稼ぎに行ったらどうだろうか。
サマワに行った自衛隊が羨ましい等と言ってないで、ここで稼いだらどうだろうか?弾も飛んで
こないだろうし。
      
             上4枚ともクウェート市内の様子

クエート人の生活

一般市民はどんな生活をしてるのだろうか?私が見たのはクエート人と労働者としての外国人
である。肉体労働やベッド・メーク、ベビーシッター、運転手等の仕事でクエート人がしているの
は見たことが無かった。勿論、首から看板が「クエート人」とぶら下がっているわけではないの
で断言できないが、クウェート人の仕事とは役人とか国営企業の会社員などだろうか。兎に
角、太陽の下で汗を流しているクエート人は見なかった。石油の力とかこういうものなのか。し
かし最近、この労働者とクエート人との間でトラブルが発生していると言う。クエートで力を持ち
始めた外国人(例えばフィリピン・バングラディシュ・インド)との間に金銭的な格差がなくなった
為、生意気だと言うのがクエート人の本音らしい。使ってやっていた使用人が俺と同じ生活を
するんじゃないという事だ。だから、北海道を見限ってこの国で出稼ぎしようと考える人は、一
生涯クエート人に頭を下げて「はい、ご主人様」の言葉を忘れないことが大切だ。それが嫌な
ら、住んでいる所で頑張るしかない。

イラクは恐いぞ!

先日、9月下旬であるが東京でクエートの臨時駐日大使のサエール氏に会うことがあった。そ
の前日のパーティでお会いして面識が出来たので早速、イラク大使館に行ったのだ。実はイラ
クのビザを取得したいと思っていたのでちょうどいい機会とお会いしていただいた。ビザは思っ
たより簡単に出してもらえることになった。しかし、サエール氏はイラクが今、いかに不安定で
あるかを話してくれた。特にバクダッド。空港からバクダッド市に入るまでが危ないと言うのだ。
テロリストではない。強盗に狙われるというのだ。武器は「一家に一丁、自動小銃」という所であ
る。一丁が1万円くらいだと言う。それがないと安心して生活できないのだそうだ。逆にそれを
持っていれば、アメリカ軍にテロリストと言われれ逮捕される。今、この国にはまともな警察組
織は無い。自分の身は自分で守らなくてはいけないのだ。香田さんには気の毒だが、殺されて
も文句の言いようが無い。行くなとは言わない。自分の命である。どうぞご自由に・・・。しかし、
出来る限りの情報収集はしておいたほうがいいし、危ないと思ったらすぐ引き返すだけの勇気
をも持つことをお勧めする。

サマワへ行く訳

どうしてイラクの、それもサワーマなんかに行きたいのかと良く聞かれる。或いはもっと安全に
なってから行ってはどうかと。最初にお話し通り6月からサマワと衛星回線で週1回サマーワの
取材をしている。今の所、彼等と直接はなしをしているのは日本で私たちだけだろう。経緯はど
うあれ、ここまで首を突っ込んでしまって、日本で唯一のホットラインになってしまった以上、途
中で投げ出すわけには行かないと思うのだ。個人でやっているから誰に言われるわけでもない
が責任と言うものがある。今の人は「責任」の意味がわからない。そう思う。だからサマワに行
って自分の目で見て来ないとこの件は解決しないのだ。安全になってから、旅行社の旗にくっ
ついてサマワを歩く気持ちはない。危険であろうと無かろう、今、現地にいる人と同じ条件下で
物を見てこそ、真実がわかるのだと信じている。だから、今、行くしかないのだ。
          
    射撃訓練場にて                アラビア語の標識と日の丸





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