![]() い。毎日の生活に追われているのは私も同様なので理解できるのだが、不条理な事や間違っ ている事に無関心を装うのはもうやめにしようではないか。黙っているということは『現状を受 け入れるという意思表示』に他ならないと思っている。そのくせ、満足しているかといえばそうで はない。不満だらけの毎日です。不満に対して黙っていても何も解決はしない。いつの日か神 様が現れて助けてくれるとでも思っているのだろうか。私は確かに神様はいると信じている。出 来ればサンタクロースも信じたいくらいだ。だが、仮に明日、最後の審判の日で神様が現れて も、何もせずに黙っているあなたを助けてはくれはしないだろう。というのは、神様は「自ら助く る者を助く」からである。助かろうとしない者は助けてくれないのだ。そういうルールになってい るらしい。ノアの箱船もそうみたいだ。医療でも同じことがあると聞いている。自分から助かろう としない人は治りが非常に遅いか助からないという。正に「意思」の力である。 さい!」という救済を求めるものではなく、請求書と督促が主である。名前が「神」だからと言っ て、神様に親近感がある訳でもないのだが、世の中の間違っていると思うことに首を突っ込ん でしまう。そして本人は世の中の為に頑張ってくれているつもりなのだが、親、兄弟、親戚一 同、親身になってくれる友達からは、「君のやることでは無い、お上の仕事でだから、そちらに 任せなさい」といわれる。どうでもいい人や他人は、自分で苦労するわけでも責任を取るわけで もないから、無責任に「立派なことをなさっていますね。頑張ってください。横で笑っていますか ら」ということになる。(但し、ゴミ一つを自分が拾う事になろうものなら、目の色変えて怒鳴り込 んでくる)自分は責任を負いたくない。誰かが責任を取ればいい。自分だけが安全なところに いたい。というのが99.9%の人の考え方であろう。確かにそれが出来ればそれに越したこと は無い。しかし、責任は追っかけてくるものだと思う。第一、責任が無い仕事など、ろくな仕事で はない。責任の無い仕事をされる方は「いい面の皮」である。卑しくも、大人であれば責任を負 わない仕事などある訳がないのである。何かをすれば必ず責任は付いてくる。それを、他人に 任せようなどというのは大人としての自覚が無い。恥ずべきことなのだ。そんな連中が子供に ついて語る資格は無いし、まして環境問題、農業、など山積する問題の解決には大して役に立 つとは思えない。責任の無い輩の発言は赤ん坊の泣き声程度の意味しかない。 は来ない。今回、ひょうんな事から、イラク問題に首を突っ込んでしまい、もう8ヶ月になる。とう とう、砂漠にまでも行ってしまった。浜市君というパートナーが現れたお陰である。しかし、一連 の活動をして半年もすると、資金も底を付きかけ、もう出来る所までやるしかないと思っていた 矢先「神君を応援する会」という団体を知人が作ってくれた。私の無謀さを見かねてのことであ る。非常にありがたい。私の会社は米屋なので、取引先を紹介してくれた方もある。バカも8ヶ 月も真剣にやっていると、少しづつではあるが理解してくれる人たちが増えて来る。 問題と思っているからだ。問題の本質が日本の行く末を決めそうな気がするからなのだ。それ は環境や原発の問題に対する取り扱い方と同じくである。今の自分の生活が豊かであれば、 子殿たちの世界を食いつぶしてもかまわないという考え方に私は同調できない。例えば「原発 が出来て、町に金が落ち、立派な建物ができた。以前とは見違えるように町並みが立派になっ た」という話は良く聞く。だから、原発の何が悪いという。では、その美しい建物、整備された道 路が放射能で汚染されたら誰が住むのだろうか?「金に踊らされ、目のくらんだ、ばか者」のモ ニュメントとして町全体を永く保存しようとでも言うのだろうか。 の代わりに日本人が死んではいけないと思う。すでに、自衛隊の派遣任務に『治安維持にまで 活動を拡大しよう』とする議論まで出始めている。『治安維持』とはどういう事か考えて欲しい。 銃で相手を威嚇し、場合によっては死傷させるのだ。しかも、『治安維持』が発動される時は相 手の頭に血が上っているときなのだ。ただで帰れるわけが無い。相手が武器を持っている可 能性が十分ある。 クへ行っている訳ではない。ただ怪我をしたり死ぬのが自分の知り合い出なければ「気の毒に ね!」で済ましてしまうことは出来ないだけの事だ。最近、私の活動を知った有志が無料でイン ターネット・ラジオで、私のサマーワの放送を聞けるようにしてくれた。是非、聞いてもらいた い。隊員の口からポロリポロリと本音が出てくる。何処にでもいる「おじさん」「お兄さん」「おね いさん」なのだ。彼等を見殺しに出来ない。そういう気持ちです。 入っている短編をご紹介しよう。私が学生の頃、星真一のショート・ショートが気に入って、かな り読んだときがある。そのショートショートの中に、「死神」という題であったと思うのだが今の時 勢にピッタリの作品と思う。概略は以下のようなものであった。 にこのボタンを押せば100万円やろうと言う。その箱は何の変哲も無い空の箱だ。しかし死神 はこのボタンを押すと世の中の誰かが死ぬ仕組みになっていると説明した。しかし、その誰か は決して君でもなければ、君の知り合いでも縁者でもないと約束した。また、100万円は押し たら直にその男に渡すといった。この貧乏学生は考えた挙句にボタンを押すことに決め、そし て押してしまった。彼の周りでは死神が言ったように何も起こらなかった。いつもの平穏な日々 で、一瞬貧乏学生はからかわれたのだと思った。次の瞬間、忽然と彼の前に100万円を持っ た死神が現れれ。そして深々とお辞儀をすると、100万円をその学生に手渡し、空のボタンの 付いた箱を受け取り立ち去ろうとした。学生はその死神にその箱をどうするのかと問いただす と、死神は学生と全く関係のない人の所にその箱を持って行き、ボタンを押してもらうと言い残 し煙のように消えるという話であった。 けると思う。 そんなことを真剣に考えている人が何人いるのだろうか。スーパー・マーケットの棚に並ぶ商品 にこういった文字が付いていないものを探すほうが難しい。しかし軽々しくこういうことを口にす る奴ほど信用が置けない。 るサテライト店の店長をしていた。彼は仕事は、この種の店を開店させた後チラシを撒き、無 料の野菜や卵、パンを配る。そして健康の話をして老人や健康を害している人たちに高額なサ プリメントを売る仕事をしていた。押しが強く、口が上手い。 3〜4ヶ月もして、その店に新しい 人が来なくなるとその店を閉めて新しいところに出店し同じように客を集め、商売になりそうな 人のリストを作る。そのリストに載った人たちに健康食品を売っていく仕組みらしい。 が売った健康食品が包装したまま出てきた。その老婦人はサプリメントが欲しかったのではな く、彼の巧みな口車に乗せられたか、一見とても親身で優しそうな態度に絆されて高価なサプ リメントを買っていたものらしい。彼はこんな事をしていては、いけないと気が付き北海道に帰 ってきたというのだ。そして、私の店で本当に健康についての商売をしたいと懇願され、雇っ た。 突然やめると言い出した。この会社が好きで好きでたまらないから、これ以上の負担を掛ける に忍びないという理由だった。やっと販路が出来、売り上げが上がってきて、これからという時 にだったので留意したが、この男は会社への思いや、今まで苦労を掛けた社長に対して申し 訳ない。これ以上の苦労を掛けたくないと言い、「愛」を持って辞めるといって聞かなかった。と ころで自分たちの生活もあるので、東京方面の販路はそっくり貰っていくとの事であった。つま り自分たちが作ったのだから自分たちのもだ、だから持って行くという。また、私がどう連絡し ようと取引先とは了承済みだから連絡するだけ無駄であると教えてくれた。 った。つまり、今まで会社に入金された売り上げは自分のものであるから返してほしい。勿論、 仕入れは掛かっているだろうから売り上げから引いてよい。経費は誰が使っても掛かるものだ から私が負担するように。また自分たちの新しい会社は私の会社のすぐ近くに置くので私の会 社の営業は引き続き手伝おうと言ってくれた。「愛」の証で有るそうだ。その代わり、冷蔵庫や 車は直に使う人はいないだろうからタダで使わせろ、と言うことだった。また、「愛」を持ってや めるのだから、喧嘩別れのようなことになりたくない。だから自分たちの申し出通りにしてほし いと言われた。車や冷蔵庫をタダで貸すことを断ると、「私の誤解をなんとしても解きたい」と言 っていた二人であるが、二度と来なくなり彼等が近くに作った会社も引っ越してしまった。 た!同じ手は食わないぞ」という気持ちが働くことは当然である。それで、恥ずかしながら私の 管理能力の無さから起こしてしまった話をした。私も同様の経験をしている。ですから、皆さん の気持ちは理解できる。彼等は実に巧みである。「俺、俺、詐欺」に引っかかる人なんているの だろうか?と疑問に思う人がいるだろうが(私は架空請求の連中と話したことがある)本当に巧 みに相手の弱みを付いてくる。それが仕事なのだ。こんなことは世の中では日常茶飯事のこと になっている。こんな世の中だから、無関心と言う自己防衛に入るのは非難できることではな い。 それでも私達は自分たちの周りに起こってる事に注意を払い社会に関与していかなけれ ばならない。同じ社会に生活している以上、起こっている事に関わらずにはいられないのだ。 だからと言って皆でイラクに行こうというのではないのだが。 ばならならない事をする」という姿を見せてやりたいと思っている。この世代の大人として間違 いも多く犯してしまったが、それを是正しようとする大人もいたのだと示したい。それが本音の ところかもしれない。 い。美田は自分で作ってほしい。そのほうが価値がある。喜びもあるのではないだろうか。効 率化ばかり言われてきたが、スローフードもいいもんだ。楽して太って病気なり挙句の果てにチ ューブでベッドに繋がれ天井を見て一生の最後を暮らすのは私は御免こうむりたい。人それぞ れの生きかただから何ともいえないが、私はそう生きたい。大昔、「お前等は軍人だ!」と言わ れたことがあった。私にはそういう生き方が合っているのかもしれない。お勧めできないし、お 前の行き方は「軍人」等というものでははないと言われるかもしれないし、単に私の勘違いの 生き方かもしれないが。それでも、可能な限り正々堂々と生きて生きたい。 の砂漠が広がり、その中を一筋の川がうねうねと這っている。「ついに来てしまった。」と言う実 感がこみ上げてくる。これからクエートでの3週間の滞在で私は何を見てくればいいのだろう か。宛所の無い旅なのだ。目的は自衛隊の取材。しかも個人的に。ただ何をどうすれば良い のかは皆目、見当が付かない五里霧中の旅。イラク派遣が開始されてから8ヶ月目、イラクの サマーワの現地インタビューをボランティアで放送し始めてから3ヶ月目である。生来の「負け ん気」と「成り行き任せ」とが仇となり今、イラクの上空を飛んでいる。自衛隊の宿営地はこの 辺だろうかと、想像しながら地上を見渡す。空の上からは地上での悲惨な光景など微塵も感じ られない。「砂漠が雪で覆われていたなら、北海道の景色にそっくりだ」とサマーワのある隊員 がインタビューの中で言っていたが、正にその通りだ。広い砂漠と、その中に、まばらに点在す る建物以外に何も無いこの景色は、色違いの北海道だ。早くここに平和が訪れてほしいなどと いう、月並みな感傷が胸に込み上げてくる。 同様にイラクの路上生活の孤児達の世話、郡山さんは戦争のルポ。それぞれイラクへ来て何 処をどのように見て取材するのか粗方の方向性というものはあったろう。今井君などはイラク へ出発の1〜2週間ほど前に私のラジオ番組で明確にイラク行きの目的を話してくれた。その 時は、この高校生が本当にイラクへいくとは思ってもいなかったし、僅か10日程後テレビの画 面で再会しようなどとは思ってもいなかった。兎も角、この三人は詳細にでは無いにしろ、行く 所とその目的は明確であったと思う。それに反して私は何処をどう取材すれば良いのかわから なかった。私の肩書きは「札幌タイムス特派員」という肩書きである。それもごり押しで5月にな ったばかり。カメラの操作などシャッターを押すくらいしかわからない。だから、今回持ち込んだ カメラが「現場監督」という名前の工事用写真を撮るカメラと小型のポケット・タイプのデジカメ。 それと家庭用のハンディーカムの合計3台のカメラ。それに、ここに来る少し前に亡くなった橋 田さんの本だけ。カメラは台数は3台有っても、全て家庭用なのだ。今になって思えばド素人と いうよりもそれ以前の状態である。この写真機でよくもまぁ、あの砂漠へ取材?に行ったものだ と、これを書きながら冷や汗の出る思いである。何も知らないということは恐ろしいというか、 「めくら、蛇に怖じず」とはよく言ったものだ。このときの私には、私の装備がどれだけ馬鹿げた ものであるか理解できるようなレベルではなかった。あるのはただ「日本はこれでよいのか」と いう疑問と、一体イラクで何が起こっているのか。そこに自衛隊が何をしているのかだけであっ た。その一心が私をここまで来させ、砂漠を上空から眺めさせているのだ。好奇心旺盛とはい え、米屋の親父が何でこんなところにいるのか、不思議と言えば不思議である。 な私でも何とかなりそうだという勇気である。それに、私にはある自信があった。「鉛だまは私 を避けて飛ぶ」という自信である。根拠は無い。仮に鉛弾が当たった時には、この自信を訂正 しようと思っているで、確たる自信でもないのだが。こんな状態でよくかの地まで行った物だと 今になって思っている。だが、何度でもやるだろうとも思う。私の悲しい性である。 なった人質経験者の3人について知りたいと思ったからだ。彼等はどうしてイラクに行ったの か、その理由を知りたかった。今井君にしても劣化ウラン弾に興味を持って、その使用には人 道的に反対であったのはわかるが何故、イラクまで行かなければならなかったのか不思議で あった。(「ならば、お前はどうしてイラクの国境まで行ったのだ!」とよく言われるが話の流れ 上、自分のことは棚に上げて置く)それで、日本に帰ると東京で本屋に直行し、3人の本を4冊 買って飛行機の中で読み始めた。結局、 行った理由はよくわからなかった。行きたかったか ら、行ったんだろうと言うのが結論か。三人の本を読んで参考になったのは、高遠菜稲子さん の本の中で「愛の反対は無関心」と言う一言だけでしたが、これが非常に重要でした。結局の ことろ、私のテーマはこれだったんだ、と気づかせてもらった次第です。 うものなら自衛隊の陸幕から速攻でクレームが来る。一字、一句大変なのです。何しろお役所 ですから。)隊員ちとインタビューを始めたのですが、聴視者の反応はいまいちでした。それは 陸幕の広報の姿勢もかなり影響していたと思います。当初の陸幕の方針は派遣隊員の安全 の確保上、一切の情報を外部に漏らさないという方針だったらしく、よくぞ、私のようなものを信 用なさって毎週の隊員への直接インタビューを許可してくれたなぁという思いでした。なにしろ当 初はサマーワの隊員の朝飯メニューまで極秘だったというのだから。朝食のメユーが知れる と、どんな危険があったのでしょうか。私のような民間人は奥の深い事はわかりませんが。結 局こういった姿勢が、マスコミ離れを起こしサマーワの情報が日本に流れなくなった一因かと 思いますが。 の山崎甲子男さんが名付け親です。当初はラジオ・カロス1局から初めたのを、ラジオ・カロス の後藤社長、山崎さん、安宅局長、実務の渋谷さん・小林さんの協力で北海道中のコミュニテ ィーFMにネットし、平成17年1月の時点では北海道・東北エリアで26局のネットになっていまし た。ここまでことになるとは、想像もしていませんでした。皆さんのお陰です。本当に! 財団の虎ノ門DOJO」という公演会に呼ばれていました。演題は忘れてしまいましたが、イラク に派遣されてた自衛隊についての講演でした。軍事アナリストの小川 和久さん、東京財団の 理事長の日下 公人さん、常務理事の吹浦 忠正さん、そして長いお付き合いになるシニア・ フェローの佐々木 良昭さん、の4名の方がお話になっていました。当初はこれほど長いお付 き合いになるとは思わず、またイラクの自衛隊に賛成だの、反対だのという公演だろうから、お 茶を濁して適当な時間に退散しようと思っていたのでした。ですから、そのときの内容も演題も 大して興味もありませんでしたし、お誘い頂いた縄田さんも私がこのような行動に出るとは思っ てもいらっしゃらなかったと思うのです。後日、大変ご迷惑をおかけすることになりました。 当時、サマーワに派遣されている自衛隊の近況について話していらっしゃいました。そして、砂 漠の中で食事も満足に取れず(現在は快適になっているようです)必死で頑張っている。その 自衛官は北海道の部隊じゃないか。そんな状態の自衛官に、皆さんは無関心でいられるの か。北海道の人間は冷たい!と言わんばかりの口調でした。この頃は第一次派遣隊の頃の 話で、番匠幸一郎一等陸佐が軍長として(現防衛庁陸上幕僚監部広報室長)、「お髭の佐藤さ ん」こと佐藤正久一等陸佐が業務支援隊長(現防衛庁陸上幕僚監部防衛部)として、土地の 交渉やら部族長との交渉をしていた頃です。 りかけ」の代わりに砂が掛かってしまうという状態だというのです。仕事も夜遅くまであり、幹部 はその後、連絡や書類を製作しなければならず、明け方にまで及ぶ仕事をこなしている。朝は 少しでも睡眠を取るために、朝飯を抜くものまでいるという状況である言うのです。さらに、気温 は相当なもので(私がクエートにいた時は8月下旬で52℃でした)クラーは効かず、最悪の状 態であったらしい。そして、そんな隊員に何が食べたいか佐々木さんが聞くと北海道人らしく 「野菜サラダ」に「ジンギスカン」が食べたいと応えたと言うではありませんか。その口調がまた 巧みでした。私はついついホロッとなってしまいましたが、今考えると派遣部隊のその様な状態 は一時的なものでしかなかったのですから、そんなに感傷的になる必要は無かったのかもしれ ません。 思い込んでしまったのです。考えてみれば、今回のサマーワの実況中継の件は全て善意の誤 解や思い込みから始まっています。これからボチボチ話してまいりますが、今後同じようなこと は二度と起。イラクにとことん首を突っ込んでしまったことに対しては一種、運命的な気もする のです。 北海道・Be Ambitious!」という番組です。内容は主に食事や有機栽培の裏側、環境破壊につ いてです。「チェルノブイリの架け橋」という組織の人も来て話をしていました。一度はベラルー シュのブーヤックとミーシャという子供も来て放送に参加した事もあります。しかし、ロシアのベ ラルーシュの言葉は誰も理解できず、二人の子供はマイクを通して何を話したやら。シッチャカ メッチャカな放送をした事もあります。 考え方が合わず辞め、米屋を始めて20年になります。お客さんには難病やらアトピー(商売を 始めたときは今のようにブームではなかったが)の人が多く、農薬が掛かっていないものやそ れに準じた野菜を提供しなければなりません。そうでないとお客さんが大変な目に会います。 勢い、農家からの直接仕入れにならざるを得ず、農家にはしょっちゅう通いました。当時は有 機栽培農家は少数で、農薬を掛けない農家が村の中で孤立してしまったり栽培方法が確立し ていなかった為に、植えても実らなかったり、消費者が生産現場の実際を知らずに好き勝手な ことばかり言ったりでテンヤワンヤの時期でした。有機認証の問題も最初から見ていますの で、現在の有機認証に関しては私はあまり信用しておりません。農業問題についてもかなり言 いたいことがありますが、話し出すと止まらないのでこの話は後半に回しましょう。 まず、自分の職業が花泉商店という米屋である事、FMラジオのパーソナリティをしている事、 講演を聴いて痛く感動した事、更に自分でも何かしたいと希望している、それに自衛隊には多 少のコネがある事などをお話しました。具体的にはサマーワの隊員が北海道出身で、公園の 中でサラダを食べたいと言っていたので、「サマワにサラダの会」と言うものを立ち上げ、サラ ダを送りたいと話しました。しかし、佐々木さんのお話だと野菜を送っても保冷庫の問題があり 難しいとの事で、それよりFMのパーソナリティをしているのなら自衛隊員の生の声を電波に乗 せたほうが良いとアドバイスされたのでした。現地の隊員は自分たちの活動を知ってもらいた がっているし、放送することは可能であると言われ、「素直な僕」はその言葉を鵜呑みにしたの です。また、佐々木さんに、これからすぐにエジプトに飛び2週間ほど情報収集をしてくるから、 その間に粗方の準備を完了してほしいと言われたのです。事情を知らない私はこれも信じて行 動に移りました。エジプトから帰った佐々木さんの「本当にやっちゃたのかい!」の声を聞くまで は信じていました。この田舎者! レンにも当たってみましたが、自衛隊に協力する気はありませんとのことでした。そう回答した 部署の名前を出すと問題になると困るので「ホクレン」とだけにしておきましょう。しかし、ホクレ ンだけで無く、他社も似たり寄ったりでしたから、特別にホクレンだけと言うことではありませ ん。それに取材してわかったことなのですが、自衛隊員を運ぶ飛行機のマークを見たことがあ りまか?機体には「PHUKET AIR」の文字が書かれています。全日空や日本航空はテロだとか 何だとか言って、儲けにならない自衛隊の輸送を断ったとか。但し同じ頃、北朝鮮から帰って きたジェンキンス氏の輸送に当たっては宣伝になると言う理由で5万円で引き受け、しかも羽 田まで特別運行でしたね。日本の国はただただ、金儲けのみで動く国に成り下がったかと悲し くなるばかりです。 佐にお会いしまし、用向きを述べると、サマーワでは殆どの物資が整っていて、その時点での 不足するものは無いとのことでした。更に、現地からの報告として「もし送っていただけるなら、 女性の自立用のミシン等を送ってほしい。自分たちのものは全てある」との通信文を見せても らい、さらに、やはり生野菜は不足しているものの、冷凍のもので代用できているとも教えても らいました。佐々木さんの言うような物不足ではない様な感じだ。どうも佐々木さん講演で話し た様な状況はイラク・サマーワに隊員が着いてすぐのあたりの事情で、物資は急速に送られて おり、宿営地はかなりの段階まで整備されているようなのだ。心の中で一人粒やいてしまった。 さらに風呂まで完成間近であるという。教えてもらった情報とは全然違うではないか。「このお 人よし!」 ていると言われてしまった。例えば、隊員の無事を願って黄色いタオルを送りたいが資金が無 いので女性隊員にのみ送りたい。しかもその資金を自分で出すわけではなく募金を募るので 協力してほしいとか、右翼の団体が「政府のイラク派遣支持を決めたので、それを伝えに来 た」だとかで、目の回る忙しさだと言う。確かにそういう状況では、訳のわからない奴は来てほ しくないと言うのも道理だ。私もその中の一人と言うわけで、そう見られても仕方の無い話し だ。突然、面識の無い人間が現れてサマーワに野菜を送りたいと言っても「はい、どうぞ」とは 行かない。 ことで総務課の方から広報室の方へ行くように言われて次は広報室へ。紹介された広報室は 隣の棟である。この辺は、やはりお役所ですね。市庁舎の「たらい回し」を経験した人なら理解 していただけるともう。これが始まったかなという胸騒ぎ。 いてみたが、かなり難しいらしい。防衛庁の陸上幕僚監部が「うん」と言わ無いのではな 食い下がるが中々良い返事は返ってこない。サマーワへの派遣部隊は陸幕の管轄で許可は 陸幕へ行かないと出ないとの事。もし、陸幕へ行くなら電話してくれるところまで譲歩してもらっ たが、それ以上の話は出来ないと言われてしまった。「佐々木さん!」 のだが、ほぼ丸一年ほど厄介になっていた。生来の根性なしのため退学になったが、それでも いまだに付き合っている同期の友達もいる。それで早速その手を使わせてもらった。小寺さ ん、十二さんとお話しているうちにお二人とも防衛大の出身であると言うことがわかったので、 私の知り合いの名前を出したところお二人ともご存知であると言う。堀内さんを知ってるかい? 堀内と言う人は小寺さんの一期上級生です。この歳になってもこうです。 がそれぞれ対番関係にあって、下級生が起こした不祥事は上級生が連帯責任を負う。それが ズーッと続くのです。私の対番が2期先輩の誰々でその対番が誰々で、さらにまた・・・・・、と言 う具合である。だからお互いが全く関係を持たない学生は存在しない。勝手なことを言っても直 ぐにばれてしまうのである。その他にも、小隊制を取っていて、私を例に取れば第22期生で1 23小隊所属、教官は第6期航空の○○さんで、その一期先輩の娘が渡辺美里という歌手 で・・・・・。その対番であった人が何と、この自衛隊の北部方面隊総監部に勤務しているとのこ とがわかった。電話で連絡してやるからと言うことになり、そうなると話は早い。いやいや、今防 大の出身者の幹部連中をを呼ぶからと言うことになり、同窓会になってしまった。小寺さんが 私の一期先輩であり、十二さんが一期後輩、総務部長は第何期で幕僚副長はやれ同期だ の、神は今何をしているかだの、と話が盛り上がり、民間の俺で無ければ出来ないことも有る と能弁をたれると、期待しているぞ!という声も出てくる。よくよく話してみると、防衛庁の陸幕 には誰々がいるはずだから連絡を取っておいてやるという所まで言って貰った。 ってしまった。僅か一年しか在籍しなかったが未だに同期と呼んでもらえるのは感謝の一言で ある。女にはわからないだろうな。昭和46年以前に生まれた女には。失礼、「女」ではなく「女 性」でした。何故、昭和46年か?それは秘密。多分46年に間違いないはずである。 報室の高橋2佐にお電話を差し上げたのです。この高橋2佐は特に規則に厳しい方で、真っす ぐな気性の方のようで規則違反は絶対に認められないという方のようでした。恐る恐る、電話 をし、イラク・サマーワに展開中の隊員のインタビューをし、放送で流すことが可能であるかを 打診したのですが、内心は無理だろうなという絶望感しかありませんでした。断られた後のこと を考えながら電話していると予期せぬ言葉が返ってくるではありませんか。電話の向こうから 「前例があったな」。との言葉が受話器から流れたのです。「確かラジオ・ニッポン」で。 の事実をご存じなかったらしく調べてみると言っていただきました。お役所ですから前例のある ことについてはスムーズに許可が下りるはずです。一方で、既に私たちが考えた事をしている 放送局が存在するなら私たちの存在価値はなくなる訳です。なんとも複雑な気持ちで聞いてい ました。一体その放送と言うのはどういった形で放送されたのか、どんな内容なのか、今どうな っているのか、を早く知りたい。兎に角、可能性が出来てきたのですから、今度はラジオ・カロ スに行きその状況を話したのでした。そして、ラジオ・ニッポンが放送した前例が有るというと、 安宅局長がラジオ・ニッポンなら以前に山アエグゼクティブ・プロデューサーのいた所だでしょ う、と言うことになったのです。その時まで山崎さんと言う方がラジオ・カロスに在籍していらしと は知りませんでした。まして、STV(札幌テレビ放送)で活躍してらして、その後ラジオ・ニッポン に役員として出向なさり、ラジオ・ニッポンの放送内容は直ぐにわかると言うではありません か。お顔は存じていたのですが、同じ放送局にいらしたとは全然気がつきませんでした。山崎 さんに連絡を取ってもらいラジオ・ニッポンの放送内容を調べてもらうことになりました。 や希望も含まれているのです。すべて、国からの補助金でしか産業が成り立たないような気持 ちになっている北海道を活性化するには、いつも東京方面から貰うだけの流れを、自分たちの 手作りの放送を東京へ流すといった事が必要なのです。 を出し、自衛隊の広報番組として作成したもので、各自衛隊の活動を紹介したものだというの です。確かにサマーワの軍長の声も出ているのですが、僅か数秒とのことでした。僅か数秒で も前例は前例です。しかも、私たちの存在価値は全く損なわれていません。その上この一件で 山崎さんもこのプロジェクトに参加することになり、私たちとラジオ・カロスと協力関係が出来上 がったのでした。 みた。自分の番組の中で放送するわけだから、何を放送しても構わないのだが実際に必要と なる機材や放送に関する技術等は全く持ってわからない。ここはやはりラジオ・カロスのお力を お借りして見ようと考えたわけである。 放送して欲しいといっているのか聞かれれば、きっぱりと「NO!」と言うしかない。資金につい て問われれば自費でするとしか答えられない。確かにイラク・サマーワの問題は米屋の親父が 首を突っ込んで何とかしようと言う<レベル>の問題ではない。まして自衛隊が働きかけてき たのでもなく、逆に米屋の親父が自衛隊を引っ張り込もうという話だから眉唾ものと思われても 仕方ない話だ。像を蟻が引っ張ろうという話だから。「企画自体は面白いですね」と言ってもら ったが、「出来るわけがないでしょう」という意味であろう。もし、自衛隊がこの企画に乗ってくれ たら考えて貰うと口約束して、この場は退散することにした。これ以上は話しようがない。私の 「話」以外に具体的なものは何も無いのだから。ラジオ・カロス自体が積極的に参加して、私を サポーチするなどと言うことは考えないほうが良いと思った。 を掛けながら殆ど一人でやってきた。金になりそうだと寄ってきて手伝う人はいるが、金になら ないとわかるとすぐ消えてしまう。そうやって寄ってくる人間は、いつも「愛」、「やさしさ」、「環 境」、「ふれあい」、「福祉」などといったキャッチ・フレーズでやってくる。要はそれを金儲けの 「ネタ」にしようと言うわけであろう。こういったこと簡単に平気で口にだして言う人たちは、こう いったものが金儲けの道具ではないという事に気がついていないようだ。金儲けの手段とし て、或いは相手を安心させて信用させ物を売りつける手段に使ってはいけない事を知らない。 今回の自衛隊のインタビューが如何に金儲けと縁遠い事なのか、少し私のやってきたことをお 話してみましょう。「バカな事ばかりして」とか「アンタ如きのすることじゃない」という言葉が出て くると思います。私がしてきたことは本来、行政がすることでなんでしょうね。 を単品で精米して、その品種を表示して販売する。また包装を紙袋にし品質の低下を防ぐ 「コシヒカリ」を「コシヒカリ」として売るのではなく、ブレンドして売れという意味。更に米の 「袋に紙袋を使ってよいとは指導していていない。ビニールを使った包装を するように」との指導。また、「府の食糧庁(当時はあった)の証明の印鑑のある袋に 書いてある生産者の名前を写して包装袋に書いて消費者に教えてはいけな い。」という指導も受けました。 消す」と脅かされるが従わなかった。結局始末書で決着。 代りタイ米をアフリカのマリ共和国へ東京のNGO組織、マザーランドを通して送るキャン ペーンを展開。札幌の全ての米屋に協力をお願いするが、迷惑なことにな ると否と言うことで、札幌市の全ての米屋に断られ独力で6.5tを送る。 とがわかった。わずかに、老夫婦で申し訳ないといって募金していった米屋が一軒だけ。 ちに日本の小・中・高の生徒の一握りの米を集め約1t程送った。 7〜8校のみ、高校はゼロ。札幌では北発寒中学校とコイノニア学園、石狩では若葉小学 校が参加してくれました。これに抗議して偽名を使った右翼系の人が嫌がら せの電話を掛け、結局、私に窘められると偽名を言い残して逃げてしまった。 力で、東京早稲田商店街の空缶回収機を2台、2ヶ月間設置し近辺の空缶とペット・ボトル をなくし、地域商店街の活性化を促すキャンペーンを行う。 またこれを目当てに客も集まった。しかし、この機械の広告宣伝の4000円/一月 の料金 が高いとクレームあり。又、設置場所がなくなった為、ゴミ拾いを夏休みの 課題にした子供たちの懇願むなしく、撤収。ただし、景品のハワイ旅行、設置のための 機材、安全管理のための人件費、及び交通費、ゴミの仕分け・処分費用は全 て、私持ち。勿論、回収期の代金約300万円も私持ち。 ろ、持余してどっかに寄付でもしたいなら、寄付先を教えるとの回答あり。君たち真面目に 仕事しなさい! ェクトに参加。2年間、週3回、デパートの下処理した生ゴミを農家に運ぶ。ただし、無償 で。 手伝おうというものは一人としていなかった。時間外手当や特別手当を出すといえば、動い たかもしれないが、これは銭金の問題ではなく、自発的に問題意識を持っ て自発的にすべきものとして、問題意識を持った私だけがやった。2年間続いたが、東 急側の担当者が退職して、終了。 一部でも持とうという奇特な方はいなかった。勿論、市や道等は説明しに言っても、たらい回し にされるのが関の山であった。その経験から、今回のイラク・サマーワの取材をして真実を知 らせようとしても、「いい事やってるね」とか「偉いですね」とかいう人はいても参加する人や協力 してくれる人が出てくるなどとは考えてもいない。だから、「浜市」という協力者がいなければ、 今回のことは全く不可能であった。この問題の出発点の東京財団にしたところで実のところ、 当てにはしていないないのである。情報ぐらいはくれるかもしれないが情報だけでも貰えれば ありがたいと思っている。これは、私がしなければいけない事であると思うからするのであっ て、余人には関係のないことであると自分に言い聞かせている。そうでも思わないと、精神的 に弱い私としては、精神状態を冷静に保つことが出来ない。ましてこの活動がボランティアとし て行われいるといっても信じていただける人は少ないと思う。そして8ヶ月間の募金の総額が5 万円であったことを申し上げておきたい。5万円も集まるのは驚異的である。
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